295874 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

となりのこたろー。さん

となりのこたろー。さん

戦争、平和、ナショナリズム~日本と中国

 毎年8月というのは、戦争について考えさせらるる時期である。いま、サッカーが大変なことになっているのはご承知の通りである。なぜ、日本が中国にサッカーなどというスポーツの場(スポーツの場というのは互いにどんなしがらみがあろうともその最中はフェアに戦わなくてはならないものである)においてかくのごとき悲惨なバッシングを浴びせられなければならないのか。これについての見解を述べながら、戦争について考えていきたい。なお、市民、国民、大衆をあえて分けて用いている。



 「ナショナリズムはならず者の最後のよりどころ」という格言がある。自分に自信を持てるところが全くない人間が、自分が所属する集合(とくに国、民族)が他の集合に比較して優れていると思いこむことによって、自分自身にはないよりどころを得るのである。無能な東大生ほど、自分が東大であることを誇張しようとし、無能な医学生ほど、自分が医学生であることを誇張しようとする。このことは、経済的に恵まれない人が、本来なら彼らの利益となるであろう主張をする政党、即ち共産党や社会党よりも、自民党を支持しがちであったことと無関係ではあるまい。一方、人間は少なからず近視眼的であり、知らない人より家族や友人を大切に思うものであり、それと同様に、自分の国を他の国より大切に思うものであるのは当然である。

 ところで、現代の社会においては、政府の存続を脅かすような思想をした市民をかつてのように排除することはできない。思想・信条の自由が保障されているからである。しかし、そのようないわば反体制の思想を市民の大多数が持つようになっては、政府の存在が脅かされるわけである。そうなっては困るので、多くの国民に愛国心を持たせなければいけない。愛国心を持った人間は現行政府の存在を脅かす、または脅かしかねない反体制にはなり難いからである。国民に愛国心を持たせるには、なんといっても愛国教育が一番簡単である。アメリカのように、小さな問題は多数あれど、あらゆる点において勝ち組、大国、No.1であれば、偏った愛国教育などなしにも国民に愛国心を持たせることができる。自分の国に自信が持てるわけだ。しかし、そうでない国はそうはいかない。子どもに愛国心やナショナリズムを半ば強制的に植えつけなければ、政権の存続、ましてや治安維持に重篤な危険をもたらすことになる。この期に及んでイデオロギーによる統制をするわけにいかなくなった中国は、ここ数年で愛国教育を強烈に進めている。ちなみに、現在の日本が、教育基本法を改正して、愛国教育を強化しようというのは、日本が、または、とくにいままでは日本が最も自慢できるものであった日本の経済というものが、堕落した証拠ともいえるのではないだろうか。

 愛国心というのは、自分の国を愛する心である。自分の国を愛するには、自分の国のよいところを知り、それを誇りに思うことが必要である。しかし、お互いの良いところと悪いところを客観的に比較して、複数の要素に分けて思考できる人間は数少ない。それゆえ、水戸黄門は必ず良いことをし、悪代官は必ず悪いことをするのである。正義の身方は必ず良いことをし、悪の化身は必ず悪いことをする、というふうな単純なストーリーしか大衆には受け入れられない。よって、自分の国を愛することは、自分の国が他の国より優れていて、他の国は自分の国より劣っていると認識することとほとんど同義になってしまうのである。さらにいえば、最も効果の高い愛国教育は、仮想敵国を設定することである。中国や北朝鮮において、かつての戦争加害者である日本を仮想敵国に設定することは不思議でもなんでもない。

 いっぽう、中国というのはまことにしたたかな国で、現実主義者である。日本が靖国問題や、国旗国歌問題で、保守的な態度をとるたびに怒りの態度を見せ、ODAをせびるのである。実は、中国の高官や政治家などが、日本の国旗国歌がどうであれ、日本の首相が靖国神社に参拝するとかしないとかで、腹を立てているわけなどないのである。しかし、靖国問題や国旗国歌問題などを巧みに利用して、ODAをせびるというまことにしたたかな行為を、しかも愛国心(この場合は即ち反日感情)あふれる大衆をあおることでよりいっそう効果を上げ、日本に突きつけるのである。つまり、右翼や自民党タカ派は、実は中国にいいように利用されているのだ。躾濃く繰り返すが、中国はしたたかである。あんなに反日思想を持ちながら、観光客には悪い顔ひとつしない。

 中国が近年愛国教育(即ち反日教育)を近年強化させたことと、日本の政権がタカ派であること、日本の世論が右傾化していることがあいまって、日中関係は現在全く冷えきっている。しかし、経済や安全保障など、あらゆる政策において、日本と中国が歩み寄ることで、お互いにとって大きな利益が生まれることはいうまでもない。お互い、もう意地を張っている場合ではないのだ。社会主義をほとんど放棄し、驚くほどの経済成長をみせている中国を敵にまわした場合に、将来うけるであろう日本経済への打撃は、想像を絶する。中国はしたたかで恐ろしい国である。

 ところで、なぜ彼らは現実に、首相が靖国神社に行ったり、日本人が国旗を掲げ、国歌を歌うだけで彼らが激怒するのか、または激怒したふりをしてODAをせびるのに利用するのか。これは、もう論じ尽くされてきたが、日本が戦後処理を曖昧にした(またはアメリカによってさせられた)からである。昭和天皇に戦争責任があるのは明確だし、大きな戦争に負けて国旗や国歌を替えなかった国など他にないのである。わきがあまいのだ。全てのスキを繕い、誤るだけ誤り倒せばよい。自分たちの文化になじまなくても、相手の都合と相手の性格を考えて上手に利益をえるのが上手な外交だと思う。首相は、数億円と靖国参拝を天秤にかけ、数億円を選択せねばならない。



 私は戦争が嫌いである。理由はまことに簡単で、人が死ぬからである。私は死にたくないし、自分の家族や友人や、あるいは自分の知らない遠くの人でも、いたずらに死んで欲しくない。とりわけ、殺されて欲しくない。イラクやアフガニスタンの悪しき政権を打倒しなくてはならない、というのは確かに誰もが思うことだし、私も納得する。しかし、戦争によって、アメリカ軍が攻め入ることによって、これらの政権を倒すことができるのと同時に、確実に人が死ぬのである。今まで悪政と貧困に苦しめられてきた現地の市民が、子どもが、現実に死ぬのである。それを考えなければいけない。

 今後、戦争を実際に体験したお年寄りがどんどん少なくなってゆく。そして、戦争経験者がいなくなったとき、戦争をバーチャルリアリティでしか知らない平和ボケした若者が、日本の未来を危険な方向へと導きかねないことが危惧されてならない。

私も、第2次世界大戦で、日本やドイツ、イタリアが一方的に悪であったとは思わない。日本が満州に進出したことや、韓国を植民地にしたのは、時代背景を考えればしかたがなかったかもしれない。アメリカやイギリスも莫大な植民地を抱えていたし、他国に侵略したし、植民地で現地人をこき使ったのである。でも、中国や東南アジア、韓国は完全に我々の被害者であり、彼らに非がないことは明確である。それなのに、日本のナショナリストたちは、自国に原爆を落としたアメリカではなく、中国や韓国の人を毛嫌いし、差別し、恨むのか。実際に、中国人や韓国人を見かけたとき、多くの人は、あの外国人さん、ガイジンとは言わない。あの中国人、韓国人という。白人には、アメリカ人とかイタリア人とか言わないでガイジンと呼ぶのに。これは全くの差別である。不当である。喧嘩をふっかけた方から、仲直りのために謝罪を言い出すのは当然ではないのか。戦争をしかけた日本が、被害者である中国・韓国に謝罪するのは当然ではないのか。余談であるが、つい先日私は大げんかをふっかけられたがまだ謝罪されていない。非常に遺憾である。



 私は、中国が好きで、アメリカが嫌いだから親中派なのではない。中国が好きで、日本が嫌いなのでもない。中国と仲良くした方が、あるいは韓国と歩み寄った方が将来の利益が大きいと考えるからそう主張しているのである。そして、我々がいたずらに愛国心をむき出しにすることで、彼らに不快な思いをさせることはないと考える。仮に、中国がいたずらに愛国心をむき出しにして我々をバッシングしても、それに愛国心をむき出しにして反論してはいけないと思うのだ。

私のことを左翼といって馬鹿にするのはよいが、はっきり言っておく。私は、愛国者ゆえに反体制である。この国の将来が、安ものの愛国心しか持てないならず者に蝕まれ、他を排斥する心の狭い国になって欲しくないからこそ、また、軍国主義化や、思想の統制をおそれるが故に、いまのままでは危ないと、警鐘を鳴らしているのである。私は、君が代など絶対に歌わないし、日の丸など絶対に掲げないが、私は、日本という国を、心から愛している。


© Rakuten Group, Inc.